【ことばの海】そのイスに座る資格はあるか 戦時性暴力の加害責任を問う 舞台「あの少女の隣に」

舞台「あの少女の隣に」
舞台正面に2脚のイスがある。誰も座っていない。舞台に登場して来た男が言う。「両方ともからっぽだよ」
イスが二つ並んでいるのを見ると思い出す。慰安婦を表現した「平和の少女像」のことを。私は2022年4月、東京都国立市で開催された展覧会「表現の不自由展東京2022」で見た。展示が中止に追い込まれたことのある作品だ。
正面から見ると生真面目で、隣に座って横から見るといたいけで。手を固く握り、かかとが少し浮いている。チマチョゴリを着ていて、肩には小鳥がとまっている。不安定さと傷つきやすさが同居する少女像を見たとき、何とも言えない複雑な気分になった。
▼戦争の道具としての女
しかし今、目の前のイスには誰も座っていない。「あのイスの片方に少女を座らせてみたいんだよ。でもそのためには遠回りでもここから始めないと」。男がそう言い、背負って来た袋の口を開け、次々に出していく。銃。ヘルメット。迷彩服。軍靴。水。食べ物。そして聴衆に問う。「なんだろう、もうひとつ。戦争の道具」。聴衆は答えない。
「女ですよ。女。なんでなんて言わないでよ。今じゃ多少は女性もいるけど兵士といえば圧倒的に男。若くて元気。女が欲しい。厳しい訓練、命がけの戦闘から離れたらパーッとうさを晴らしたい。挫けたこころに慰めが欲しい」
コンドームを左側のイスに置く。そして、赤い汚れがたくさんついた白いハンカチを広げて、右側のイスの背もたれにかける。
「先ほど私、言いましたね、戦争に女が必要だと。それを我が国がいつ頃からどんなふうに実現したのか。そこから話しましょう」
話はナポレオン時代のフランスに遡る。兵士に性病が広がって戦力が低下したことを受け、国が売春婦に性病検査をして管理し始める。他の国もこの方法に飛びつく。日本では1872年9月。「私は当時、山路(やまじ)という名前でヨーロッパを一年間見て回った」「日本に帰った私は警視庁ができると大警視、今でいう警視総監になってこの売春管理を日本に導入。すごいでしょ」。山路は日本の近代警察制度を創設した川路利良がモデルのようだ。

「まゆ こころのクリニック」院長の竹内真弓(左)と劇作家のくるみざわしん=2026年9月1日、東京都渋谷区
▼「守るべき女」と「差し出す女」に分断
劇作家で精神科医のくるみざわしん作・演出の舞台「あの少女の隣に」を見た。戦時性暴力を加害者側から描いた一人芝居だ。1時間半、休むことなくせりふを語り続けるのは俳優の川口龍。初演は2021年で、2026年夏は東京都渋谷区に開業したばかりの「まゆ こころのクリニック」のホールで上演された。
男は山路という名の大警視から、高山という名にかわる。警視庁の一課長だ。男は時代を超え、いろんな人物になるのだ。時は敗戦直後の1945年8月18日。まもなく占領軍がやって来る。我が国の女を守るためには、どうすればいいのか。
高山は上司である警視総監から「RAA(特殊慰安施設協会)」という言葉を初めて聞く。そして「女を守るために女を使う」ことを命じられる。食べる物や金に困った女を集め、占領軍向けの慰安施設で売春させる。日本政府は「守るべき女」と「占領軍に差し出す女」とに分断したのだ。「簡単です。まず貧乏な女を集める。で、女が自分の意志でやっているかのごとく見せかけて、お国は責任を逃れる」
▼時を超えて女性たちが傷つけられる
そんな高山も「闇の女達」を批判し見下す「ご婦人方」の声を聞くと、闇の女達の方に心を寄せる。「闇の女達だって一生懸命お国のために働いているわけですから」と。さらにアメリカ人のジェームス大佐から、RAAを廃止し、職場を失って街に出た女どもをガンガン取り締まれという命令を受けて反発心を抱くが、結局は言うなりになる。高山はどんどん卑屈になり、心が千切れてバラバラになってゆく。やがて占領軍が去り、1956年には売春防止法が公布される。
終盤の時は2026年、男は女子大で教えている。聴衆に訴える。「国家管理売春は軍隊のためにある。(中略)従軍慰安婦もRAAもそう。今は国家管理に見えないけれど、女性の給料を安くしたり、出世させなかったり、入学試験で差をつけたりして、地位を低く保ち、売春しないと生きていけない女性を作り続けている」
くるみざわが、このイスに座ってほしいと思っているのは、日本の女なのだと分かる。国が、戦争をする側の男たちが、戦時も戦後も女を必要として、大勢の女たちを傷つけてきた。この構造は今も変わらない。
院長の竹内真弓はプレトークで「今日の舞台のテーマはトラウマ。『誰がトラウマを受けたのか』ということを考えながら、傷ついた人たちが日々トラウマを癒やそうとしているこの空間で、この芝居を上演するというのは意味があると思う」と語った。
劇が終わったとき覚った。精神科のクリニックという場所で上演されたからこそ、頑として揺るがない加害-被害の構造が鮮明に浮かびあがったのだと。

対談する竹内真弓(左)とくるみざわしん=2026年9月1日、東京都渋谷区
▼どうしてここから抜けられないの?
上演後、くるみざわと竹内が対談した。「戦争に女が必要って…、どうしてここから抜けられないの?」。竹内が問うと、くるみざわが応じた。「どうしてこの構造が変わらないかというと、変えたくない人たちがいるから。でも変えなくちゃいけない」
兵士にとっての本当の「慰安」とは、戦場から離れてセラピーや治療を受けることではないかと、くるみざわは言う。「『人を殺してはならない』というモラルを捨てないと、兵士になれない。モラルインジャリーこそが兵士の傷つきです。兵士は人を殺す訓練をさせられるから壊れるのだと思う」
1966年生まれのくるみざわは、戦争の加害責任を直視して作品を作り続けてきた。国家だけでなく、個人のそれも問う。この構造を作り上げたのは誰なのか。戦後生まれの自分は関係ないと言えるのか。自分は、少女の隣に座る資格があるのか―。
少女の隣に座ろうとして、座ってはいけないのではないかと躊躇し、自問し続ける男の姿が、この構造を終わらせるための出発点になるのかもしれない。(敬称略)(文)

上演後、花束を受け取る俳優の川口龍=2026年9月1日、東京都渋谷区
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